親 :面接の日って変えられますかね
向日葵:なぜ変えたいのですか。
    アルバイトもしていませんよね
 親 :その日は山菜採りに行くんですわ
向日葵:山菜採りを翌日にできませんか
 親 :親戚の都合、天候、山菜の成長からその日しかないのです。
    あの会社の社長、同い年でね、昔は鼻タレで・・・。
    面接くらい変えても問題ないでしょ

という、親と向日葵の会話です。

 「山菜採りはこの日、面接はいつでも。だから、子どもの面接日を変えさせる」という自己中心な判断をする親には、「お母さん、やっと最終面接まできたのですよ」という向日葵の言葉は届きません。

 子どもの面接よりも、優先順位の高いものがあるのでしょうか。親の判断が子どもの人生を狂わせます。