適材適所という言葉がある。「能力を持った人が、それにふさわしい職に就けるのが一番良い」ということで、誰でも知っている。しかしこれが一番難しいのだ。もともと適材適所という言葉は、鶏と卵のように堂々巡りの言葉であり、材が先か所が先か分からない。その上さらに厄介なことがある。適材であるかどうかの判断で、往々にして自分自身の判断と他人の判断は違うのである。

 自分自身の判断はほとんどが過大か過小である。過大とは他人の自分に対する判断は低すぎるというものであり、多くの場合は間違っている。過小とは他人の判断は高すぎるというものであり、多くの場合これも間違っている。過大は妬みを生み、こう言う人は扱いが厄介である。判断が過小な人は厄介ではないがもったいない。期待に押しつぶされてトラウマが残り、何に対しても自信が無いのである。ある種の例外を除くと、大体において他人の評価の方が正しいと言って良い。

 さて、ここでの話は適材適所ではなく、不適材適所ともいうべき物語である。私は「最もふさわしくない」という理由で会社の自衛消防隊長に選ばれた。

驚きの辞令

 私はどちらかというと唯我独尊派に分類される性格で、あまり人の話は聞かない。自分の判断を押し通して一人でも行動するタイプであり群れない、むしろ一人のほうが良い。なんやかやと煩わしい会社の規則は嫌いであった。もちろん積極的に規則を破るつもりはないが、私のやることの邪魔をしないで、できればほって置いてほしいのである。私を自由に研究させてくれれば良い成果をどんどん出すと考えていたし、そう言っていた。自信家と言えばそうであるが、別に成算があってのことではない。性格である。干渉されると意欲は落ちる。

 さて、会社には自衛消防隊なるものがあった。非常時に備えるのであるから、自衛といってもそこそこ統制の取れた組織であるべきなのは理解できた。しかし、私にはやり過ぎに見えた。消防隊は特別の制服と帽子を着用しなければならない。普通の所員とは区別される。週1回消防訓練をやるし、防災週間を含め行事は多く時間が取られる。統率スタイルは軍隊流であり、敬礼は海軍式だと得意になって言っている人たちもいた。失礼ながら「こんなことは時間の無駄だ、こっちは忙しいのだ」と思っていたので、私にとっては最も遠ざかっておきたい組織であった。

 しかし、防災という理由で、新人の約半分はこの消防隊に入れられるのが通例であった。私も2年目から消防隊に入れられ、3年間経験させられた。あまり好きではないから習熟もせず偉くもならず、約3年無難にこなし無事に除隊した。やれやれこれで堅苦しい組織とはおさらば、のはずであった。

「消防隊長を命ず」。

 受け取った辞令に驚いたのは私だけではない。中央研究所の半導体の部長を拝命した直後のことである。「前隊長は任期3年を全うし、今期は交代する」とは耳にはしていたが、自分と関係があろうとは思っていなかった。確かに消防隊長は9名の部長の中から選ばれるのが通例であった。しかし、私はこういう職には向いてないと思っていたし、消防隊活動に積極的なことは何もしてこなかったので、この人事への関心は薄かった。周りの同僚たちも同じ考えではなかったかと思う。