工学と科学は似て非なるものである。おまけにその境界はあいまいである。工学とは科学的知見の実世界への応用である。社会の役に立つことを本分とする。工学は、有用なものが作れればそれで良しとする。科学とは物の理を明らかにすることである。いかに有用であっても、なぜそうなのかが分からなければ価値はない。この面では工学と科学は大いに違う。しかし、“こうすればこうなる”といった事象を集めることから原因と結果を探していくのが科学的手法であるとすれば、この問題解決の姿勢は工学でも同じである。このような親近性の面から、工学と科学とを合わせて「科学技術」と呼んでいる。日本には科学技術庁という役所もあった。

“科学”に取り組む必要に迫られる

 企業の新製品開発においては、往々にして工学と科学が入り混じった問題を取り扱わねばならないことがある。256KビットDRAM(dynamic random access memory)での多結晶SiヒューズROMの開発がその一例である。多結晶Siをこのように使うのは初めてであり、ヒューズの専門家も近くにはいなかった。私の専門は工学であり科学ではないが、製品に使うためにはヒューズの“科学”に自分で取り組む必要に迫られた。

 多結晶Siで非常に細い配線を作って、そこに大電流を流したら切れるはずである。実際そのような配線を作って実験すると多結晶Siは切れる。多結晶Siの形状や構造を工夫して、できるだけ小さな電流で切れるような、効率と信頼性の高い方法を実験的に求める。配線形状や構造、ならびに電流の流し方には様々な組み合わせがあるだろうから、実験計画法などを使って効果的に実験で求めることになる。これが工学的アプローチである。

 もし多結晶SiヒューズROMに製品適用実績があるなら、これで終わりである。しかし、今回はこれだけでは済まない。多結晶SiヒューズROMは、そもそも製品適用例がないのである。設計可能性と信頼性の問題に答えなければならない。そのためには、ヒューズの科学に取り組まなければならない。設計可能性とは「ヒューズはなぜ切れるのか」という問いに答えることであり、“こうしたらこうなる”というヒューズの物理的振る舞いを明らかにすることである。ヒューズの科学に深くかかわりあう日々となった。

地道だが、エキサイティングな実験の日々

 時は1980年前後、私は30歳台半ばの働き盛りであり、6人のグループのリーダであった。一人で三役をこなすことになった。勤務時間中は“256KビットDRAMの設計者”として、本来業務であるメモリの設計で手一杯である。勤務時間外の初めの方、すなわち夕方6~8時の間は“指導者”として主に部下の指導に当たる。ヒューズの科学にはどうしても夜8時過ぎからしか取り掛かれず、“研究者”としての仕事は深夜に及ぶ。「時間が24時間以上あったらいいな」と思ったことが何度もある。

 まず取り掛かったのはヒューズの切断実験である。どのような形状のヒューズがどのような電流で切れるかを実験的に把握しなければならない。ヒューズの形状や構造を考えて設計し、半導体プロセス担当部で試作してもらう。様々な形状のヒューズに、色々な電流パルスを加える切断実験を、何百何千回、毎日繰り返した。傍目(はため)には同じことを繰り返してばかりで、さぞかし退屈に見えただろうが、全くそうではない。毎日がエキサイティングである。

 それは山に登るのに似ている。一つ一つの実験は同じようなものであるが、毎日結果が積み重なるのが大きな違いである。ヒューズの振る舞いの理解は、結果の集積に伴って深くなる。初めは「こうしたらこうなった」であるが、「こうしたらこうなるだろう」に進み、最後は「こうしたらこうなる」と断言できるようになる。ヒューズの理解には1年以上かかった。