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交渉で勝つためには、感情でなく知恵を使う

下東 勝博=半導体理工学研究センター
2010/07/09 00:00
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 半ば飽きれ驚きながらも、ほっとした気持ちで、私はセールスマン氏より200米ドルの釣銭と、売買契約書、車の鍵を受け取った。ここは、米カリフォルニア州パロアルト郊外の中古車ディーラーの殺風景なオフィスである。そこには顧客用に置かれた安物の台と椅子があり、部屋の奥には、波打ったスリガラスが中央に入った執務室のドアが見える。セールスマン氏は、書類を取りにあるいは上司との相談にと、しばしばその扉の奥に消えていた。契約が成立して彼は愛想の良い笑みを浮かべている。一方で我々は口をぎゅっと結んで渋面を作っていた。「この野郎」。

新聞で掘り出し物発見

 私の留学先は、米Stanford Universityでパロアルトにある。サンフランシスコから南に約50kmにある学園都市に1977年9月2日に着いた。「広いなー」。サンフランシスコ空港に降り立った私の米国第一印象である。米国はなにせ広く、何をやるにもしても車がなければどうにもならない。公共交通手段はほとんど無いに等しい。まずやるべきことは中古車探しだった。San Jose Mercury News紙を必死で探しているうちに掘り出し物にあたった。Chevrolet(米General Motors Co.製)のMalibu、8気筒、走行距離数万マイルで1800米ドル。スペア・タイア4本付きだった。

 先輩のK氏と、このディーラーにやってきたのが朝の11時頃である。その車はクリーム色でまだ売れずに残っていた。早速、車底をのぞく。一番の懸念は、東部の車ではないかということである。東部では凍結防止に道路に塩をまく。このため塩のNaが車底を錆びさせる。だから東部の車は新しくとも値段が安めという。車底を見た限りこの車はそんな状況ではなさそうで、かなりお買い得に見えた。交渉の滑り出しは好調だった。セールスマン氏に新聞の広告を見せ彼もそれに間違いない事を確認し、契約をして車を持ってすぐに帰れるはずだった。しかし、今はもう夕方の4時を過ぎていよう。

 つまり、ここに来てからもう4~5時間経っていた。交渉は泥沼化の様相である。セールスマン氏はまた別室に消えた。上司とやらに伺いを立てている。少なくともそう言っている。僕らは顔を見合わせ、K氏はオーノーとばかり、掌を両腰のあたりで上にするジェスチャーをした。K氏は2歳年上、同じく研究所からの留学生である。本当に車が買えるのだろうか?不安が頭をもたげる。最初は順調だった。雲行きが怪しくなったのは、セールスマン氏が契約書類作成のため別室に消えて再び現れてからである。

 私は何がまずかったのかと、何度もここへ来てからの出来事を反芻(はんすう)していた。San Jose Mercury News紙をセールスマン氏に示し、「シボレーを見たいがまだ大丈夫か」と尋ねた。セールスマン氏は、「これはセール品でお目が高い。早速御案内しましょう」と言って車を見せてくれた。「乗ってみてはどうですか」と言われ、ホイール・バランスを見るために乗ってみた。かすかに左により気味のバランスだったが、問題はないと思った。「販売条件は広告通り」と言う事だったので、私はトラベラーズ・チェックで2000米ドルを渡し、セールスマン氏はそれを持って執務室のドアに消えた。何も変な事はなかった。

セールは昨日で終わっていた

 しかし、再び現れたセールスマン氏は意外な言葉を口にした。「セールは昨日で終っていました」。「でも、あなたはその条件で売ると言ったでしょう」。「はい確かに。私は良いのですが上司が・・・」。この押し問答が1時間くらい続いた。セールスマン氏は何度も執務室への出入りを繰り返し、遂に上司とやらの条件を口にし始めた。「通常では2000ドルを少し超しますが」と。私はSan Jose Mercury News紙を読み直した。確かに、「先週末まで」とある。これは厳密には土曜日までのこと。今日は日曜日だった。しかし、最初の交渉でセールスマン氏はセール中であることを認め、私は代金を渡し契約書作成まで来ていた。私は納得がいかなかった。

 長い、長い交渉になった。時々私は交渉を止めてほかへ行くそぶりを見せたが、何せ2000ドルが人質になっている。セールスマン氏はああやこうやといっては、交渉を続ける。K氏はさすが先輩。「めげずに1800米ドルを通せ」と言う。プレミアム・セール用の付加部品の削減交渉に入らざるを得なかった。まずガソリン。「今1/4くらいあるが満タンにしなくて良い」と譲った。セールスマン氏は執務室から浮かない顔で帰ってきて首を振った。ひとしきり話した後でスペア・タイア4本、つまりタイアを全部新品にすると言う条件を半分の2本にすることにした。セールスマン氏はまた執務室に消えた。「上司は納得しません」と言って戻ってきた。まあこういう事の繰り返しで、3~4時間が過ぎた。

洗礼は良い経験に

 セールスマン氏は、ちょっと当てが外れたのではないのだろうか。着いたばかりの日本人は意外と粘って甘くなかった。私は時折感情的になって怒りを見せることがあったけれど、彼はあまり感情を表に出さなかった。「自分はいいけどボスがねー」と、やや弱々しく憎めないセールスマンの姿勢を貫いた。結局1800米ドルで買った。けれどタイア、ガソリン等のプレミアムはほとんどなくなってしまった。半ば飽きれ驚きながらも、ほっとした気持ちで、私はセールスマン氏より200米ドルの釣銭と、売買契約書、車の鍵を受け取った。彼は笑みを浮かべて、「サンキュー」と言った。この野郎。

 車は何とか手に入れたが、米国生活の洗礼は凄かった。何事も交渉である。交渉の文化、それもタフな。5時間以上の交渉をタフと言わずに何と言おう。あらゆる知恵を使って交渉し、妥協点を探る。私は時々感情的になったがセールスマン氏はそうはならなかった。これは彼が交渉に慣れている事もあるが、一般的な交渉のルールだろう。感情でなく知恵を使う。この経験は後になってとても役に立った。何度も似たような場面に遭遇したからである。その都度、私はこの洗礼を思い出し、冷静に言うべき事を言って妥協点を探して事態を切り抜けることができたのである。K氏は私より頭にきたようで、その後このディーラーを詳しく調べたそうである。セールスマン氏はオーナーであったという。とすれば、何と見事な一人芝居であったことだろうか。拍手。

 1米ドルは300円で渡米、途中で200円になって帰国。1800米ドルは54万円になる。

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