私は研究者として286件の特許を取得した。今では1件1件を思い出せなくなったが、印象が深いものが何件かある。その一つが初めて書いた特許。名称は愛想なしの「半導体メモリ」である。1972年の初めに書いた。研修テーマをそのまま特許にしたもので、少し詳しく言うとRIS(rotatable initial susceptibility)型磁性薄膜を用いた不揮発性半導体メモリである。

 ある種の磁性薄膜では、二次元的な相互作用によりその磁化は薄膜面内に存在し、直行するx軸y軸の2つの方向で安定になる。また適度な磁場を印加するとx軸からy軸へ、またはその逆へ磁化を変化させることができる。これを“1”、“0”の記憶に使えないかと考えた。ただし、これは直属ユニット・リーダーのSさんのアイデアで、私はその実現可能性の検討に取り組んだ。

 この特許はその存続期間である20年の間、役に立たなかった。すなわち、メモリは実用に至らなかった。が、40年経った今、その概念は新しく注目されている。その概念とは、磁性体と半導体との組み合わせ・融合技術である。「時代を先取りしていた」と言うつもりはない。40年も時代を先取りしては、どうなるものではあるまい。しかし、多様な分野との交流とその融合と言う観点は常に新しさの原点になると言うことはできるだろう。なお今回の主題は多様・融合ではない。ものごとの本質を見抜く力である。

実質的な上司に出会う

 私は、「RIS型磁性薄膜を用いた不揮発性半導体メモリを考えなさい」という研修題目をもらった。これは、Sさんからである。Sさんはその際に、「RIS型磁性薄膜についてはFさんに聞きなさい」とアドバイスをくれた。が、Fさんは自分の研究に忙しく、あまり私のことは構ってくれなかった。何から手を付けようかと、思案投げ首の日々が続いた。時は、1971年の初夏である。

 そこへ現れたのが、Sさんの友人で、磁気ディスクユニットのユニット・リーダーのTさんである。Tさんのユニットでは、その年に新人の配属がなかった。当時、一つの部は7~8つのユニットから構成されていた。新人は、一つの部に3~4人しか入らなかったので、半分のユニットにしか幸運の女神は微笑まない。Tさんは、自分のユニットにその年は配属がなかったが、Sさんは新人をもらったので、そこへ見学に来たようだった。

 私はTさんの姿に驚いた。口調はべらんめえ調、外見はあまり構わない。机の上にしばしば腰掛ける。とても紳士とは言えない。何処かのオッサンのようであった。しかし話してみると、頭の回転は恐ろしく速い。技術ばかりでなくリベラル・アーツ系の知識もかなりのものだった。話好きで、専攻は何だったか、何をやりたいのか、研修は何だ、などなど、根掘り葉掘り聞いてくる。そして何より世話好きである。

 九州の柳川に住んでいたことがあるらしく、私が博多の出身だと言うと懐かしがってくれた。これが私とTさんとの出会いである。それ以来、私の公式のユニット・リーダーはSさん、実質的なユニット・リーダーはTさんと言う事になった。そう、仕事の方はTさんと議論しながら進めていくことになったのである。

原理にはたどり着いたが・・・

 半導体とRIS型磁性薄膜とをどう組み合わせてメモリを作るかという点に関しては、既に案があった。バイポーラ型半導体と抵抗でフリップフロップ回路を作り、本来なら1本の共通エミッタを2本に分割して直交させる。その交点にRIS型磁性薄膜を貼り付ける(正確には蒸着する)と、メモリの1単位ができあがる。RIS型磁性薄膜のところで、右と左の配線はXのようになっている。Xの右上から左下への線を“0”、左上から右下への線を“1”と名づけよう。

 “0”に電流が流れると、右ネジの法則で磁場は“1”方向にできて、RIS型磁性薄膜内に“1”方向の磁化が発生する。“1”のときは“0”方向に磁化が発生する。従って、磁化が“0”もしくは“1”のどちらの方向にあるかで、情報“0”、“1”を記憶することができる。これは磁化なので、電源を切っても消えない。この種のメモリを不揮発メモリと呼ぶ。ここまでは机上では出来上がった。