入社2年目、1972年の春。突然仕事が舞い込んだ。日立の中央研究所では、入社1年目は研修員である。工場実習をはじめ数々の教育を受け、テーマ研修を約半年間行い、その結果を報告して評価を受ける。この研修報告が終了し、やれやれと思っていた矢先の事である。それも直属のユニット・リーダ(UL、課長職相当)からではなく、磁気ディスク担当のUL,この連載にも登場してきた「男なら,白鳥だな」のTさんからの仕事であった。Tさんは直属のULに代わって、研修員報告をはじめとして何くれとなく私の面倒をよく見てくれた人である。仕事の本質は何かを見極めよと常に言われた。

 「磁気バブル・メモリが大型コンピュータ用の主記憶装置としてどのような可能性を持つのか? それを評価せよ」というのが、彼が私に与えたテーマであった。新入所員にとっては雲をつかむような話である。次世代の主記憶技術を探索することは我が部の最重要テーマの一つであった。そのようなテーマの片棒を新人に担がせるとは恐れ入ったものであるが、これはTさん流の新人教育であった。緊張感漂うオン・ザ・ジョブ・トレーニングである。約1年に及ぶこの仕事で私が得たものは誠に大きいものがある。技術内容の学習も然りながら、特筆すべきは研究開発における物の考え方・仕事の進め方の習得にあった。

期待の星、磁気バブル・メモリ

 まずいくつかの技術、磁気バブル、大型コンピュータおよび主記憶装置、磁気コア・メモリについての説明をしておこう。あくまでも1972年当時の状況である。

 磁気バブルとは、その時よりさかのぼること5年前の1967年に米国ベル研究所で発明された固体素子(Solid-State Device)のことである。ガーネット系強磁性体の単結晶をスライスして平板状にし、その平面と垂直に磁場をかけると磁区が円筒状に凝縮して、上からだと丸い泡のように見えるものができる。それを磁気バブルと呼んだ。円筒状の棒磁石がガーネット平板に垂直にあると思えば良い。この磁気バブルがあるかないかで原理的には1、0の記憶ができる。転送回路(材料はパーマロイ)もガーネット平板上に集積できるので、磁気バブルは当時の期待の星であった完全固体素子メモリの候補であった。

 次は大型コンピュータ用の主記憶装置である。主記憶とはCPU(central processing unit)が実際にデータを直接読み書きするメモリで、ワーク・メモリとも言われる。大型コンピュータの心臓部を形成しており、取り外しできるフロッピー・ディスクなどの外部記憶とは全く違った型のメモリである。

 当時の主記憶は磁気コア・メモリである。磁気コア・メモリとはフェライトを粉末化し、mmサイズのドーナツ状に焼結形成し、ドーナツの中心に2~3本の細い制御・検出線を編みこんだものである。ドーナツの磁化が右回りか左回りかで1,0を記憶するものである。焼結、加工、編み上げを必要とし、完全固体素子メモリには程遠い。

 先に述べたとおり完全固体素子メモリとして磁気バブル・メモリへの期待は大きいものがあった。そこで,磁性材料や物理を担当していた部には磁気バブル材料・素子研究開発グループができていた。

比較するのはコストだけ

 さて、テーマを再度思い出してみよう。「磁気バブル・メモリが大型コンピュータ用の主記憶装置としてどのような可能性を持つのか? それを評価せよ」である。比較すべき相手は磁気コア・メモリらしい。では,何から手をつけたら良いのか? 必要なことすべてを勉強していては一生かかっても終らないだろう。我が苦闘の始まりである。