ひろりんママの原稿もこれが最後になりました。半年間、お付き合いいただいてありがとうございました。折に触れ、就職戦線の厳しさが伝えられています。皆さんも、苦労されているのではないでしょうか。寒空の中、思いつめたような顔をして急ぎ足で歩くスーツ姿の若い女性を見かけると、密かに「頑張ってね」とエールを送らずにいられません。

 皆さんが、就職で今現在、どんなに悩んでいたとしても、今になってから振り返ると、それは8ミリフィルムのように流れていく人生のひとコマに過ぎません。なかなか、思うようにはならなくて、しんどい思いをしている人も多いでしょうが、20代のひとコマで人生の8ミリフィルム、すべてが決まるわけではありません。そのことを、忘れないでいていただきたいなと思います。

忘れられないクリスマス

 今日は、ひろりんママにとって、忘れられないクリスマスのお話をしたいと思います。結論はありません。でも、人間が生きるというのはこういうことなのだろうか、とおぼろげながら感じたあるクリスマスのことです。

 ひろりんママは、アメリカの大学の同級生の家でクリスマスを過ごしたことがあります。コネチカットの田舎の方では、今でもクリスマス・イブの夜に、それぞれの家に聖歌隊が来てキャロル(クリスマスに歌う聖歌)を歌ってくれます。月明かりに照らされた雪景色の中で、遠くから流れてくる子どもたちが歌うキャロルはいかにも平和で、クリスマスを盛り上げてくれる風物詩です。

 イブの夜、窓際に座ってキャロルに耳を傾けていたひろりんママに、友だちがホットチョコレートを入れてくれて、2人で黙ってキャロルを聞いていました。

 友だちには実子・養子を含めて3人の子どもがいます。そのうちの一人の男の子は重い障害を持って生まれてきました。家族は皆、その子を慈しんで育てていて、とても幸せそうな家族でした。

窓辺で語ったイブの夜更け

 友人がふと窓の外を眺めながらつぶやきました。「あと何回家族そろって平和なクリスマスを迎えられるのかしら」と。そして障害を背負った子の余命がそれほど残されていないこと、親として子どもに先立たれる以上の悲しみはないこと、毎日毎日、その子を見ると涙してしまうこと。その子が「I love you, Mommy」と書いたカードをくれて、それが一番の宝物であること。その子を生かしてくれるなら、全財産をなげうっても惜しくないこと。