ひろりんママがニューヨークで暮らしていたころの話です。

 通っていた大学のすぐ近くに、古本屋さんがあって、やせた黒人のおじいさんがいつも奥のいすに座って店番をしていました。おじいさんのトレードマークは、古びた毛糸の帽子。どんなに暑くても、どんなに寒くても、レインボーカラーの毛糸で編まれたキャップをかぶっていて、薄暗い店内で奇妙に明るいコントラストを作り出していました。

 裏通りに面した半地下にあるその古本屋の名前は「サイレント・トラベラー」。時を超えて静かな思索をする旅人のイメージは、いつも本を静かに読みふけっている黒人のおじいさんの雰囲気にぴったりで、傾きかけた手書きの看板の文字やドアベルがチリンと鳴る音を今でも昨日のように思い浮かべることができます。

自分の可能性を狭めるのは自分自身の心

 あのころ、ひろりんママは、公私ともにいろいろな問題を抱えていて、鬱々とした日々を送っていました(今もそうかもしれません……笑)。知らず知らずの間に、自己卑下する癖が身についていたのでしょうか。自分を褒めてくれる言葉をそのまま受け取れなくなっていました。

 ある晴れた日、いつもの古本屋で、古本の教科書を買ったひろりんママ。おじいさんがくれたお釣りが間違っていたので、余分な分を返しました。

 おじいさんは驚いたように目を見張って「お嬢さん、あなたに神の祝福を」と言いました。すでに30歳の大台を超えていて、バツイチ、将来のキャリア展望も全く開けていなかったひろりんママは「もうお嬢さんでもないし、あなたから神の祝福を受けたところで私の人生が明るく開けるわけではないでしょう」と皮肉を込めて、答えました。

 するとおじいさんは、にっこり笑ってこう言いました。「私はもう70年以上生きている。あなたは私の半分も生きていないではありませんか。私から見れば、まだまだ“ひよこ”ですよ。自由に世界を探検したいひよこの気持ちを閉じ込めて、自分で自分の可能性を狭めているのはあなた自身なのですよ」と。