ひろりんママは20代近く続く古い家の出身です。典型的な男尊女卑の家で育ちました。お風呂はいつも、男衆が先。女が一番風呂に入るなんて考えられません。食事も、女たちは台所の板の間で食べます。もちろん、おかずも男衆の方が豪華です。

 若いとき、この風習が嫌で嫌でたまりませんでした。どうして、男だけが優先されるのか、女はいつも後回しにされるのか。積もりに積もった不満は、母や祖母、叔母たちに向かってよく爆発していました。理を尽くして、男女平等を説くひろりんママを、古い女たちは「だって誰かがやらなければならないもの」と苦笑まじりに受け流していました。

「誰かがやらなければならない」ことの重さ

 封建的な価値観に毒された(笑)と思っていた祖母たちの言葉の重みが分かってきたのは、数年前からでしょうか。会社組織の中では、とても面倒くさいけれど、誰かがやらなければならないこと、というのが意外にたくさんあります。利害関係の調節、異動に伴う座席配置の変更、ロッカーの割り当て変更、飲み会のアレンジから、誰も片付けずにいる食べ散らかしのお弁当の片付けまで(笑)。

 オフィスに人が割に潤沢にいた時代は、そうしたこまごまとした仕事を担当する人もいたのですが、合理化が進み、人員削減が当たり前になった今では、こうしたこまごまとした仕事は“誰の担当でもない仕事”になって、敬遠されがちです。

 以前は、女性の仕事として押し付けられがちだった仕事が、今度は“誰もやりたがらない仕事”になって、オフィスの皆が押し付け合いをする。そんな光景をよく目にするようになりました。