コペンハーゲンで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)の総会で、2016年の夏季五輪の開催地を決める投票の結果、東京は落選しました。五輪を巡っては様々な政治力学が働きますから、政治面での戦略が不十分だったことは否めないでしょう。ただ、決選投票まで進んだリオデジャネイロとマドリードに比べて、東京の場合は開催地の人々の五輪招致に対する盛り上がりが欠けていたことも事実です。

 東京在住の人も東京を勤務地としている人も、「東京五輪」を自分たちのこととして最後まであまり認識できなかったのではないでしょうか。その結果、様々な面でものすごい潜在力があるはずの東京を十分に「キャラ立ち」させることができず、東京の良さ、すごさについても世界へ十分に発信できなかったように思います。これは極めて由々しき事態。2020年以降に再チャレンジするにせよ、しないにせよ、東京のさらなるキャラ立ちと世界への発信力を高めることは重要なことです。

 私は現在、新宿区に住んでいて、勤務する日経BP社は港区にあります。新宿区といえば、東京都庁に代表される「副都心機能」とともに、歌舞伎町に象徴される蠱惑(こわく)で猥雑な活気にあふれている地域だし、港区はおそらく区レベルの行政単位なら世界で最も星付きのレストランやバーが多い「ハイパー飲食シティ」というキャラが立っています。しかしながら、「東京」という括りにしてしまうと、こうした区のキャラ立ちが埋没してしまうような気がしてなりません。東京全体のブランドには何か目新しさや面白さが感じられないのではないでしょうか。

 区や市の単位なら、住民や勤務地としている人がもう少し身近なこととして認識できるでしょうし、地域ごとのキャラも明確に立てやすいのではないでしょうか。世界へ発信しやすいという観点からすると、千代田区は「秋葉原の萌え」であり、大田区は「もの作りを支える縁の下の力持ち」といったことになるのでしょう。区や市にかかわる人が体感できるような動機付けが進み、そこから立ってくるキャラの総和が東京を底上げしながら世界へ発信できれば、東京の潜在力はもっと輝くはずです。