市場規模が10兆円を超え,今やブラウン管に替わってディスプレイの中心的な存在となった液晶パネル。事業化で先頭を走ったシャープの技術開発を引っ張り,技術者として液晶パネル産業を立ち上げ,後に経営者としても液晶産業の発展に大きく貢献してきたのが,元シャープ 常務取締役,フェロー(現FPDアソシエーツ代表)の枅川正也(ひじきがわ・まさや)氏だ。その枅川氏に,技術者として働く面白さ,学生時代の研究で仕事に生きたこと,学生時代に身に付けておくべきこと,シャープに入社した理由,会社選びで大切なこと,などについて聞いた。


――枅川さんが考える「技術者として働く醍醐味」とは。

枅川正也氏
枅川 正也(ひじきがわ・まさや)氏
1969年,シャープ入社。1999年に同社 常務取締役 液晶開発本部長,2003年に同社フェローに就任。現在はFPDアソシエーツの代表を務める。

 自分たちで考えて“もの”を作り,それが市場に出る。そして,自分たちが作った“もの”を,市場の中で見たときの感動。これが一番です。ものづくりの会社に身を置いて,本当に良かったと思います。ものづくりは市場創造です。私の場合は液晶パネルや半導体レーザー,太陽電池といった新しいデバイスを作り,それらが様々な機器に応用されて,素晴らしい商品となった姿を見たときに,とても感動します。こうして新しい技術開発によって新たな市場を創造していけることは,技術者冥利に尽きます。

――特に強い感動を味わった経験についてお聞かせください。

 たくさんありますが,一番大きな感動を味わったのは,液晶パネルの開発です。2~3型の小さな画面しか量産できなかったときに,14型という,当時はブラウン管しかなかった大型サイズの液晶パネルを開発することができました。このときは,技術者人生で最高の感動を味わいました。

――周りの反響はいかがでしたか。

 1988年に新聞発表したのですが,他社の人達から私宛てに電話がひっきりなしにかかってきました。多かったのは,「生産できないもの作って,技術アピールだけをしても仕方ないじゃないか」という電話です。まるで,世の中を惑わすことじゃないかと言わんばかりでした。「生産できないものを新聞に発表するなんてけしからん」という人が多かったのです。

 それが,新たに液晶開発の世界に飛び込んできた若い技術者の努力もあって,今や65型を超える大型液晶テレビまで生産できるようになりました。素晴らしいことです。そして,若い人たちの知恵や力は本当にすごい! と思います。