ただ、そんな中、東工大付属チームの3年生メンバーの増田憲君が、プレゼンの時間を計るタイマーを会場で自主的に作成。大会終了後、缶サットの制御プログラム関連をサポートした企業関係者から喝采を浴びた。無冠のチームに与えられた、最高の栄誉だった。

 「学校でのものづくりは『お膳立てが用意され、言われるままに作れば立派なものが完成する』と勘違いしている生徒が少なくない。それを吹き飛ばす、苦い、極上の良薬をもらい、生徒には何よりの土産になった」(小菅氏)。

プロジェクト体験こそが必要
秋田大学ものづくり創造工学センター長の土岐仁教授。「高校生と触れ合う中でプロジェクト実践教育の効果を実感した」と話す
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 この言葉は、能代宇宙イベント、缶サット甲子園を立ち上げた秋田大学の土岐仁教授が提唱する「プロジェクト遂行型実践教育」の理念に通じる。マニュアルを否定。目標を与え、そこに向かう過程を自らの頭脳で考えさせる。そのプロジェクト体験こそが、学生の力を引き出す。

 「挑戦して失敗することもある。でも、その体験を生かすことが重要なんですね」

 土岐教授は、ロケットガール養成講座や缶サット大会などを通じて知り合った高校生に、改めてこう言われてハッとしたという。

 「ロケットガールや缶サットの取り組みで、『考えていたより高校生はやるじゃないの』と感心した。若い人は多くの力を秘めている。自分の持っている可能性を本人に気付かせる取り組みが、これまでの高校教育には足りなかったのではないか」

人づくりのバトンをつなぐ

 後日談だが、東工大付属チームのプロジェクトリーダーを務めた小黒純平君は、大会出場を決める際に見せた情熱の通り、今春、航空宇宙関係の学科に進学した。実は、能代宇宙イベントの事務局で活躍する秋田大の若手教員にも、2005年に開催した第1回のイベントに他大学の学生として参加した“卒業生”がいる。

宇宙、目指してます
秋田大学ものづくり創造工学センターの建屋。ASSPは「秋田大学学生宇宙プロジェクト」の略称。人づくりのバトンが着実に渡されている
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 第2回の缶サット甲子園は、2009年8月20日から2日間の日程で開催される。今回は、缶サット競技に加え、ロケット開発競技も併設。名実ともに“宇宙甲子園”となる。缶サット競技には12校、ロケット競技には4校が出場し,参加校の輪は着実に広がる。

 地面にまいた種が芽を吹き、花を咲かせ、その花が再び多くの種を地面に落とす。能代のイベントでは、参加者が次の若者たちにバトンを渡す“人づくり”の好循環が生まれている。

 土岐教授は、今の夢をこう話す。

 「日本の宇宙技術に携わる技術者で、能代のイベントを経験していない人はいない。将来、そう言われるようにしたい」

 かつて、糸川英夫・東京大学教授が日本初のペンシルロケットを打ち上げた秋田の地。葦の緑が広がる能代の鉱さい堆積場には今、宇宙に向かって大きく葉を広げる人づくりの大木がしっかりと根付きつつある。

(この項、終わり)