結局、無事に缶サットを回収できたのは、最初に打ち上げた慶應高校チームだけ。群馬県立桐生高校のように、あきらめきれず海沿いの広大な松林を1時間にわたって捜索するチームもあった。
「最後は浜辺まで機体を探しにいくと言い出したので、さすがにそれは認めませんでした。生徒たちは、自ら製作した缶サットに強い愛情・愛着をもっていたのでしょう」
桐生高校チームを率いた同校教諭の茂木孝浩氏は振り返る。
録画をあきらめ、打ち上げる前に競技不成立となった東工大付属チームも、打ち上げ後のパラシュートの動作やカメラの制御などのテストに目標を切り替えた。
結果的には、他校と同様に日本海に流されてしまったものの、考案した形状がパラシュートの直進性に有効だったことは目視で確認。カメラから無線で地上のモニターに送信される砂嵐のような動画の中で、リモコン操作に合わせて何かの“影”が動くの複数の参加者が見たという。
もしかしたら、無事に小型ミラーが動作し、カメラが映し出す風景に変化が生じたのかもしれない。だが、機体を回収できない以上、それを確認する術はない。それでも、開発メンバーには、モニターの影という成果に達成感があった。
転んでもタダでは起きない心意気
東工大付属の小菅氏は述懐する。
「転んでもタダでは起きない。失敗してもめげずに気持ちを切り替える様子は、缶サットの開発に取り組む前には考えられなかった。結果だけにとらわれず、与えられた状況で最善を得ようとする姿勢は、開発メンバーが自らの手で勝ち取った成果です」
缶サット競技は、打ち上げだけでなく、夜も続いた。各校が開発した技術を紹介するプレゼンの出来栄えを競う審査が待っていた。打ち上げとプレゼンの総合力で順位が決まる。そこで気を吐いたのは桐生高校。同校はベストプレゼンテーション校に選ばれた。そして、初代の総合優勝は、唯一機体を無事に回収し、動画の録画を確認できた慶應高校。同校は、副賞として2008年9月に米国ネバダ州で開催された世界的な缶サット競技会「ARLISS」に参加した。
プレゼン審査では、自らの表現力のなさにショックを受ける高校生の姿もあった。カメラの視野方向を制御するという独自機構を打ち出した東工大付属チーム。プレゼンでは、技術の有効性をうまくアピールできず、思わしくない結果に終わった。
「よいモノを作れば分かってもらえるという過信があったのでしょう。理系だから表現能力が低くてもいいという甘えを一蹴する体験だった」と、小菅氏は指摘する。