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日経エレクトロニクスでは、今回の判決結果を10月7日号にて詳報いたします。
また今後も「知的財産権」をエレクトロニクスにおける大きなテーマを考えていま
す。
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僕が会社を訴えたわけ
――渦中のエンジニア,中村修二氏に真意を聞く
(日経エレクトロニクス2001年9月24日号 Interviewより抜粋)

「絶対に勝ちたい。冷遇されている日本の技術者を救うために」。
青色LEDの発明者,中村修二氏が日亜化学工業を提訴してから1カ月。
エレクトロニクス業界に大きな波紋を投げ掛けている。
賞賛の声,戸惑いの声,同情の声…。
「技術者代表」と自認する同氏の狙いはどこにあるのか。
日本の技術者に向かって中村氏が胸の内を明かす。
――ついに提訴されましたね。周囲の反応はいかがでしょうか。
中村氏 皆,エールを送ってくれています。どこのメーカーとか名前は言えませんが,大企業の第一線の技術者たちが「頑張ってください,陰ながら応援してますから」と声を掛けてくれました。多くの技術者は会社に対して不満を持っているんです。でも,それを口には出せない。自論ですが,日本は共産主義ですから。私が渡米するとき,親しい他社の技術者たちが宴会を開いてくれました。その席でも「米国に行っても,私たちを代表して不平不満をどんどん言ってくれ」って頼まれたくらいです。だから日本の技術者のためにも,絶対に勝ちたい。100%勝つと確信しています。
――今回の提訴で請求した,特許に対する「相当の対価」は20億円。技術者が会社を訴えた過去の訴訟で支払われた最高金額は1300万円程度です。20億円請求しても,1億円くらい得られれば大勝利といえるのでは。
中村氏 1億円なんて,全然眼中にない。中途半端な額ではダメ。金額が小さければ,負けたと同じです。皆がびっくりするような前代未聞の金額でないと意味がない。サッカーの中田選手や大リーグのイチロー選手があれだけ稼ぐのを見て,一番喜んだのが日本のスポーツ選手でしょう。自分たちも頑張ればああいうふうになれるって思っているはず。それが大事なんです。僕が勝てば,技術者への刺激になる。
もう頭にきましてね
――中村さんが提訴するとの噂は,2001年春ごろからありました。提訴に踏み切った最終的な理由は何だったのでしょうか。
中村氏 最大の理由は冷遇されている日本の技術者を救うためです。僕が裁判で勝てば,日本の会社は技術者に対する特許報酬制度を変えるでしょう。そうすれば,技術者は大喜びするんじゃないですか。皆,やる気を持って仕事に取り組むと思いますよ。多額の報奨金は,技術者にとって研究開発への大きなインセンティブになる。会社は制度を変えるのを嫌がるでしょうけど。
それと,やはり日亜化学から訴えられたことも提訴した大きな理由です。2000年の初め,僕は大学の講義の準備で大忙しだった。そんなとき,日亜化学側の弁護士がやって来て「こういう書類を出せ,ああいう書類を見せろ」とせっついてきた。「そんなこと,できない」と説明しても「ダメだ。早く出せ」の一点張りで…。もう,頭にきましてね。
――そうは言っても,自分がかつて所属していた会社を訴えることに抵抗はありませんでしたか。
中村氏 そんな気持ちは全然なかった。日亜化学は私をまるで犯罪人扱いしていましたから。訴えられるまでは,こちらから訴えてやろうなんて思ってもいませんでしたけどね。会社を辞めてからも,仲の良かった同僚と電子メールのやりとりなんかもしてましたしね。でも,訴えられてからは即中止。
メールをやりとりしていた途中から,日亜化学は僕を訴える準備をしていたようです。メールの中で,僕が企業機密を漏洩しているかのように元同僚が意図的に誘導してくるんですよ。そんな文章がメールとして残れば,何かと不利になりますから。途中で「何かおかしい」と感じたので,返事を出さないことにしましたけどね。そんな折,僕が米Cree,Inc.の子会社のコンサルタントになったことを発表した途端,突然ポンと訴えられた。
――日亜化学を退社するとき,機密保持契約書にサインをしなかったのでしょうか。
中村氏 はい,しませんでした。 USBC(University
of California Santa Barbara)に転職して1〜2カ月たったころ,日亜化学側が僕の携帯電話とか家に電話をしてきたんです。「機密保持契約書にちゃんとサインしろ」って。「論文を発表する前に内容を全部見せろ」「研究室を見せろ」とも言われました。
僕は「もう大学の職員になったので,大学の弁護士を通してほしい。勝手にサインしたら首になる。弁護士がOKすれば,いつでもサインはする」と説明しました。それから2〜3カ月後に,大学の弁護士を通して交渉が始まった。
それで大学の弁護士も,このままではいつかは日亜化学側が大学と僕を訴えるかもしれないと懸念し,真剣に対応するようになった。企業が大学を訴えるというのは,米国では非常に珍しいんですよ。まして,日本企業から訴えられるなんて。
訴状に見る中村氏の叫び(訴状より抜粋)
中村教授は自ら行った新製品の開発から,下記の3つの苦い教訓を学んだ。
―中略―
第2に,製品開発に技術的に成功しても,市場の中でその商品の売り上げが十分上がらなければ,社内ではその開発は失敗例とみなされ,開発技術者(本件では中村教授)は社内で「穀潰し」とみなされ,冷遇される。
中村教授は日亜社内で冷遇され,日亜内での将来の出世も望めなくなった。こうした状況に追いつめられて,中村教授は「どうせ辞めさせられるのなら自発的に辞表を書くのではなく,日亜が自分を解雇するまで,開発すべき新製品を自分で選択し,それを自ら単独で開発研究してみよう」と考えるに至った。
そして,中村教授は1988年2月ごろ,首を覚悟のうえ,日亜の上司などの了解もないまま,窒化物系青色発光半導体を開発することを,自ら一人で決定し,実行した。
社長は「窒化物系青色発光半導体素子の開発」に強く反対した。同社長はある日突然,外部から競合メーカーのM社の半導体研究所のお偉いさんであるA氏を中村教授の働いている研究室まで連れてきた。同研究室見学後,A氏が日亜社内で講演して「窒化物系青色発光半導体素子は近い将来では開発困難であろう」旨発言した。
講演後,同社長は中村教授に向かって「窒化物系青色発光半導体素子の開発をすぐに中止するよう」強く命じた。同社長はその後も何度も中村教授に対し,「窒化物系青色発光半導体素子の開発を中止し,GaAs/GaAlAs系HEMT(高電子移動度トランジスタ)の開発を命ず」との業務命令を直接文書で発した。
中村教授はその時すでに「日亜から首を切られてもいい」という覚悟が出来ていたので,これらの文書によるたび重なる社長からの業務命令を無視した。
概して言えば,多くの例では会社は第1に発明のための資金提供者であり,第2に発明の母体となる技術の所有者であり,第3に発明のきっかけを与えた企画者でもある。
ところが本件では多くの例とは異なり,日亜の本件発明への貢献は,上記第1の「資金提供者」であることは正しいにしても,上記第2の「発明の母体技術の所有者」でも,上記第3の「発明の企画者」でもない。中村教授こそが上記第2の「発明の母体技術の所有者」であり,上記第3の「発明の企画者」であった。
上記第1の「資金提供者」としての日亜の貢献度はすべて,日亜の当該通常実施権の取得により吸収され尽くしている。
―中略―
特許法35条3項,4項に基づく「相当の対価」の算定に当たっては,日亜の貢献度は0%である。本件発明の貢献度の比率は公平にみて,資金提供者(日亜)0%,発明者(中村教授)100%である。 |
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