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(第10話) |
FairPlay for DRM
iTunes Music Storeで購入した楽曲が,iPod以外の携帯型プレーヤにコピーできないことも,音楽業界の安心感を増したようだ。iPodに格納した音楽ファイルは,基本的にパソコンにはコピーできない。
Apple社は,当然DRM技術にも気を配った。iTunes Music Storeに加え,同時発表した第3世代のiPodに,「FairPlay」と呼ぶDRM技術を組み込んだ。同社独自の技術で,詳細は明らかにしていない。保護されたファイルをiPodに転送して再生できるほか,家庭内ネットワーク上での安全なストリーミング再生なども可能という。
Apple社が他社と違ったのは,必要以上に強力なDRM技術を導入しなかったことである。レコード会社の過大な要求に対し,体を張ってユーザーの権利を主張した。それまでもApple社は,iPodの進化に応じて,段階的にDRM技術を組み込んできた。最初の世代では,楽曲ファイルの転送回数を制限するような厳格なDRM技術は用いず,画面に「音楽を盗用しないでください」などと表示するにとどめた。DRM技術を初めて導入したのは,朗読した書籍などのコンテンツを提供するサービス「Audible.com」に対応した第2世代機だった。Audible.comは独自のDRM技術を利用していたため,第3世代機の初期の製品では,その方式とFairPlayの2つを組み込んでいた。
今のところFairPlayは,DRM技術としてまずまずの成績を上げている。2004年に入って,FairPlayによる保護を無効にするとうたったソフトウエア「PlayFair」が現れた。Chrisによれば,こうしたツールはFairPlayのセキュリティ・ホールを突いたものの,ツールが抽出するファイルは簡単には再生できないという。「今のところ,ビジネス上の被害は特にない。レコード会社も,こうしたツールが生み出すファイルが,大した問題じゃないことを分かってる」(Chris)。いずれにしてもApple社は,iTunes Music Storeを始めて1年後に公開したiTunes Version 4.5で,このセキュリティ・ホールをふさいだようだ。
1Week, 1Million Downloads
Steveが発表した当初,iTunes Music StoreはMacintoshだけに向けたサービスだった。Apple社がすべてをコントロールできる環境でサービスを立ち上げた。それならばと恐る恐るコンテンツを提供したレコード会社は,数週間後には全く違う見解を持つようになった。
iTunes Music Storeは,たちどころにマスコミに熱狂を引き起こした。Steveはロック・ミュージシャンのSheryl Crow とともに,米Forbes誌の表紙に収まった。消費者の反応も強烈だった。iTunes Music Storeは,最初の1週間で100万曲以上を売り上げる。Steveは誇らしげに語った。「1週間で,我々はこれまでのすべての記録を塗り替え,オンラインで音楽を販売する世界最大の会社になった」。レコード業界も驚きを隠せなかった。「1週間足らずで100万曲なんて,想像だにしていなかった」(米 Warner Music Group,chairman and CEOのRoger Ames)。「最初の1カ月で100万曲いけば大成功だと思っていた。Appleのやり方は正しかった」(Universal Music Group,CEOのDoug Morris)。
ここまでくれば,Apple社の勝ちだった。レコード業界は,CDの売り上げの漸減に頭を痛め,ファイル交換ソフトウエアの脅威に神経を尖らせていた。彗星のごとく現れたApple社の成功は干天の慈雨だった。Windows版のiTunes Music Storeの登場を待ち望むのは,ユーザーやApple社だけでなくなった。
2003年10月16日,Apple社はWindowsパソコン向けのiTunes Music Storeを開店する。売り上げの勢いはさらに増した。Windows版が登場する前は,Apple社が1000万曲を販売するのに4カ月余りを要した。 Windows版が現れると,わずか3カ月で1500万曲が上乗せされた。サービス開始から1年後の2004年4月28日。Apple社はトータルで 7000万曲を販売したと発表する。
The iPod Twiggy Act
AppleにとってiTunes
Music Storeは,あくまでもiPodの売り上げを伸ばすための仕組みである。そのもくろみはまんまと成功した。Macintosh向けのiTunes Music
Storeがオープンした直後の1週間で,Apple社は11万台ものiPodを受注したという。Windows版の登場後に,iPodの出荷台数が爆発的に伸びたことは,前回触れた。
もちろんiPodのヒットに貢献したのは,iTunes Music Storeの成功ばかりでない。Apple社はiPod自体にも大幅な変更を加えた。第3世代のiPodで,Apple社はさらなる薄さと軽さを追求した。Apple社の表現を借りれば,「2枚のCDよりも薄く,軽い」。第3世代機の厚さは15.7mm。第2世代機よりも2.7mm薄く,初代機と比べれば4.3mmも減った。
薄型化を達成したポイントの1つは,機械式のボタンを一切排除したこと。初代機のスクロール・ホイールや押しボタンの代わりに,全面的にタッチ・センサを導入した。第3世代機を分解した米Portelligent Inc.のpresident,David Careyによれば,米Synaptics社の静電容量方式の部品を用いたようだ。
Portelligent社は,薄型化に寄与したとみられる,もう1つの要因を発見した。Liイオン2次電池の外形寸法が変わった点である。初代機では,2次電池をメイン・ボードと重ねるように実装していた。第3世代機では,メイン・ボードに切り込みを入れて,そこに電池を組み込んだ。電池自体の厚さは若干増えたが,設置面積が小さくなったという。ただし電池が小振りになった結果,以前と比べて容量が減った。iPodの電池動作時間の公称値は,初代の10時間から8時間に落ちた。「Apple社は薄型化のために,電池動作時間を犠牲にした」(David)。
このほかの変更点で大きかったのは,USB 2.0への対応である。これによってようやくWindowsパソコンが標準的に備えるインタフェースで接続できるようになった。USBインタフェース用に利用したLSIは,米Cypress semiconductor Corpの製品。Portelligent社によると,このLSIとSynaptics社のタッチ・パッドを除けば,iPodの回路構成は以前の機種とほぼ同じという。このほか,第3世代機は操作ボタンの赤いバックライト--暗い所での操作を可能にし,見た目もクール--や,iPodを置くだけでパソコンとAuto-Syncできるドッキング・ステーション--「簡単な回路があるが,基本的には金属の塊」(David)--が加わった。=敬称略
(日経エレクトロニクス2004年7月19日号より)
(この続きは、次回11月26日更新予定です。)
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