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(第1話) |
Nemawashi Around the Apple Tree
In 2000,Apple Computer,Inc. belatedly decided to come out with a music product,the iTunes digital jukebox software. From this project came an idea to explore the advisability of Apple entering the nascent digital music player market. In early 2001,a team of just two people was given the mission to research what was to become the product that yet again thrust Apple into the forefront of consumer consciousness,the
Pod. Apple is a company with a customer base known for their fanaticism which can bring more attention to the inner workings of Apple than the company sometimes cares to have. Apple is known for its culture of secrecy,and yet,for this article,provided unprecedented access to some of the thoughts,trials,and tribulations that resulted in the genesis of the most successful digital music player so far. |
最初にいたのは,たったの2人だけだった。1人がマーケティング,もう1人は技術の担当である。この2人に,携帯型音楽プレーヤの市場調査の命が下った。2001年初めのことだ。
その年のクリスマス・シーズン。わずか9カ月余りで,製品が店頭に並んだ。製品の評判は上々だった。ただし売れ行きについては,世評が相半ばした。同社として全く経験のない分野への進出に,失敗をほのめかす意見もあった。
それから2年半。2人が礎を築いた事業の成功を疑う声はもはやない。2004年第1四半期の売上高は,2億6400万米ドルに達した。出荷台数は80万 7000台。同社の主力製品であるパソコンの台数を上回る。彼らの製品のヒットは,1社の窮地を救っただけでなく,人々が音楽を聴くスタイル,そして楽曲を買い求める手段までをも変えつつある。
iPod。これはその誕生の舞台裏である。社内の事情を秘して語らない米Apple Computer,Inc.が,重い口を開いて明かした開発の軌跡である。
Late to Market
2001年初頭。Apple社は,活路を求めて暗闘していた。20世紀の最後の数年に同社の決算を彩った「iMac」の威光は,既に消えつつあった。
2000年10月〜12月期,同社は1億9500万米ドルの損失を計上した。売上高は10億米ドル。前年同期と比べて57%も減った。 苦境にあえぐ同社は,今後の成長を見込める分野として音楽関連市場に触手を伸ばした。2001年1月に開催したMacworld Conference & Expoで,Apple社は第一弾の製品をお披露目する。Macintosh向けのジュークボックス・ソフトウエア「iTunes」である。
「World’s Best and Easiest To Use Jukebox Software」(Apple社の発表資料)と宣言してはみたものの,業界の見方は冷ややかだった。音楽市場への参入が,あまりにも遅かったからだ。既に米国では,パソコンやインターネットが音楽市場にもたらす「革命」の話題で持ちきりだった。一般消費者の熱狂的な支持を取り付けた米Napster,Inc.は,音楽ファイルの交換サービスを巡って,米国の5大レコード会社と激烈な法廷闘争のさなかにあった。革命の舞台と見なされたのは世界にあまねく広まったWindowsパソコンであり,一握りのファン層を相手にするMacintoshは,忘れ去られがちな存在だった。Apple社の発表は,この現状に対するささやかな異議申し立てにみえた。
Apple社が,携帯型音楽プレーヤの製品化に向けて水面下で動き始めたのはMacworld Conference & Expoの直後である。もしこのときApple社の狙いを聞き付けた競合他社があったとしたら,間違いなく一笑に付しただろう。
Apple社の構想に似た製品は,既に市場にあふれていた。パソコンの周辺機器を手掛ける米Diamond Multimedia Systems,Inc.は,フラッシュEEPROMを使った携帯型音楽プレーヤ「Rio
PMP300」を,1998年に早くも投入している。2001年初めには,多くの周辺装置メーカーが製品をそろえていた。いずれも売れ行きは,はかばかしくなかった。パソコンにつないで使う音楽プレーヤといえば,当時はニッチ商品の代名詞だった。
何よりApple社は,民生機器市場での実績に欠けた。1990年代初頭に売り出したデジタル・カメラ「QuickTake」は,世界もApple社も変えなかった。携帯型情報機器「Newton」が残したのは,同社がこの製品に冠した「PDA」という言葉だけだった。
Music Is the Core
それでもApple社には,成功の予感があった。iPodの生みの親の1人で,現在はDirector,iPod
and iSight,Worldwide Product Marketingを務めるStan Ngはこう語る。「我々は,当時あった製品に単純に不満を抱いていた。もっといいプレーヤを,僕ら自身のためにも作りたかった。僕らはみんな音楽が好きだから」。
Apple社には,経営陣から技術者,マーケティング部門に至るまで,生活の一部として音楽が欠かせない多くの社員がいた。ミュージシャンとして活動する人材も少なくない。Stanもその1人だった。チェロにバイオリン,ギターを学んだ。オーケストラに参加し,バンドも組んだ。合唱団のメンバーだったこともある。大学時代にはDJも経験した。「音楽は,いつだって僕自身の一部だったんだ」。
彼らは開発途上のiTunesを使って,自分たちのCDコレクションをパソコンに移し始めた。その中から好きな曲を選んで,持ち運べるプレーヤで聴きたいと願うのは,ごく自然な欲求だった。Stan自身,携帯型音楽プレーヤを4つか5つ買ってみた。いずれも満足には程遠い。
ここに,彼らは潜在的な市場の存在をかぎ分けた。しかも,そこではApple社の強みを生かせそうだった。使いやすいユーザー・インタフェース,ハードウエアからソフトウエアまで1社ですべてを手掛けていることなどである。「我々の経験を生かせば,ずっといいプレーヤを作れると,2001年の初めころにはみんなが思い始めていた」。
Hard to Say No
Stanともう1人の技術者に“skunk works(秘密の仕事)”が割り当てられたのは,2001年2月ごろである。Stanは,現在同社でSenior Vice President of World Wide Marketingを務めるPhil Schillerに口頭で指示を受けたらしい。Apple社は明言を拒むが,決定の背後に同社のCEO,Steve Jobsの意向があったことは想像に難くない。
彼らの任務は,携帯型音楽プレーヤの市場にApple社が参入する余地があるかどうかを調査することだった。事細かな作業内容の指示はなかった。市場に出回る音楽プレーヤを調査し,Apple社が革新的な製品を作り出す可能性を探れとの要求だ。
「僕らの会社にとって一番難しいのは,ノーと言うことなんだ」と,Stanは繰り返し語る。Apple社には,歯ブラシから車まで,ありとあらゆる製品を作ってほしいという要求が始終舞い込んでくるという。ノーと言うには,それなりの理論武装が必要になるわけだ。
もちろん,最後にイエスかノーかを判断するのは,経営陣の仕事である。Stanは,経営陣の決定に絶大な信頼を寄せる。「この5〜6年,特にSteve が経営に復帰して以来,Appleはちょうどいいタイミングでノーと言ってきたと思う」。Stanらが求められたのは,経営陣が決断するために必要にして十分な情報を集めることだった。トップが正しい判断を下す前提は,決定を裏付けるに足る完全な情報の提示である。2人に加わるプレッシャーは,並大抵ではなかった。
彼らは着手した当初から,作業が無に帰す場合すら覚悟していたという。「たとえ僕らがこれがAppleにとって重要じゃないと言っても,仕事を追われることはない。それはAppleのやり方じゃないんだ。ここでは,みんながいろんなことを試してる。そのために,適正な能力があって,技術の変化に敏感な人材を雇ってるんだ」。
Useless Products
2人は,競合他社の製品の分析から始めた。すぐに分かったのは,既存の携帯型音楽プレーヤに失望するのは,彼らだけではないことだった。大部分のユーザーは,購入した数週間後には,音楽プレーヤを使わなくなる。何回か試しただけで,放置してしまうのだ。仮にApple社の製品だとすれば,到底受け入れられない惨状である。
原因は明白だった。ユーザーは何百枚ものCDから吸い上げた楽曲を,パソコンに蓄えている。ところが半導体を利用した音楽プレーヤに保存できるのは,せいぜい10数曲である。その時々に聴きたい曲を持ち運ぶには,プレーヤの内容を何度も入れ替えなければならない。その手間をユーザーは厭いとうのだ。
大容量のハード・ディスク装置を使って,この手間を省こうとした製品もあった。こうしたプレーヤの難点は,大きすぎることだった。とても持ち運びに向くとはいえない。
使い勝手の問題も露呈した。製品によっては,10〜15個ものボタンが付いている。多すぎるボタンは,時としてユーザーに悪夢をもたらす。単に好きな音楽に聴き入りたいだけなのに,望みの曲にたどり着くまで,複雑極まりない操作を強いられる。
2人が下した診断はこうだった。現在手に入る携帯型音楽プレーヤは,パソコンの周辺機器にすぎず,技術に目がない新しもの好きしか飛び付かない。Apple社が目指すべきは,全く別の領分だ。音楽ファンの日常に欠かせない,万人に愛される製品がそれである。(日経エレクトロニクス2004年5月24日号より)
(この続きは、次回9月24日更新予定です。)
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